待ちに待ったドラマ「SPEC(起)」の続きである「SPEC 翔」が4月1日にテレビで放送されます。
そして、4月7日から映画「SPEC 天」が劇場で公開されます。
これで起翔天(結?)という感じでシリーズの全貌がいよいよ見えてきました。
「わーい、やったー」
と、SPECが好きな人たちは喜んでいるはずです。
でも、私の気持ちは少々複雑です。
けっこう前に上の商品を見つけてしまっていたため、素直に喜べない自分がここにいるのです。
「SPEC 翔」(ディレクターズカット版)
わざわざディレクターズカット版と書いてある以上、ディレクターズカット版とは違うバージョンが存在するわけです。
それはつまり《テレビ放映版》だろうということになるわけです。(あくまでも推測)
テレビでディレクターズカット版を流してくれる可能性ももしかしたらあるのかもしれませんが、
「やっぱりそれはないよな・・・ 」
とか思うわけです。
で、
どうせ見るならディレクターズカット版を見たいですよねー・・・ という話です。
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レンタルで新作
(ふだんは旧作しか借りない&日本のコンテンツは高すぎて買えない・・・)料金を払ってでも、すぐに「SPEC 翔」ディレクターズカット版を見てやるぞ、と考えていますが、実は、日本映画やドラマなどの《ディレクターズカット版》について一つだけ物申したいことがあります。(これが今回の記事の本題です)
ハリウッドでは編集の決定権が監督ではなくプロデューサー(製作総指揮)にあるために、必ずしも監督の望んだ形で作品が完成するとは限りません。
「大切なシーンをカットされた!」
と言って、監督がいつまでもネチネチとプロデューサーに恨みつらみを重ね、引きずってしまうこともあるわけです。
そんなハリウッドだからこそ、あとになってディレクターズカット版が出ることになります。
劇場公開時には作品時間にシビアにならざるを得なかったとしても、ソフト販売される段階なら、10分や20分長くなっても構わないと言うことなのでしょう。
たいていの場合、未公開シーンが追加されているほうが客は喜びますし、未公開フィルムの有効活用にもなるし、劇場公開版とディレクターズカット版で二度商売できるのも大きいです。
何より、監督の気が晴れます。(将来的なことを考えると、とても重要です)
一石二鳥どころか一石四鳥、一石五鳥の効果が。
ハリウッドのディレクターズカットは、あらゆる意味で素晴らしいシステムだと思います。
(プロデューサーの権限が強すぎることに問題を感じますけど)
一方、日本は監督の権限がハリウッドよりも強く、劇場公開された作品は、そのままディレクターズカット版です。(わざわざ銘打つ必要もないくらい当たり前にそうです)
基本的に監督が自分でカットしているものが公開されているのです。
それなのに、あとでディレクターズカット版が出てくる不思議・・・
それは違うでしょ、と思うわけです。
自分でカットしたんだから、それを決定版とするべきではないかと思うし、どうしても追加のシーンを入れて作品を再構成したいなら、ロングバージョンなどと表記するべきではないでしょうか。
完全版とかディレクターズカットという表現は間違いだと思います。
もしくは、
劇場公開時やテレビ放映時には時間の都合や諸般の都合でカットしているのであれば《短縮版》《編集版》《不完全版》などと呼ぶべきなのです。
(わざわざそんなことを明言する人はまずいないとは思いますが)
だから、今度の4月1日にテレビで放映される「SPEC 翔」がDVDやブルーレイで出されるディレクターズカット版とは異なり、短くカットされているとしたなら、それは「SPEC 翔」(不完全版)ということになるのです。
少なくとも私の中では。
何はともあれ、
テレビでディレクターズカット版が見たいです。(無理だろうけど)
時間の制約があるのは分かりますが、こういうイヤラシイ商売の仕方しないで欲しいです。本当に。